ババナビ

自分のミライを探しに行こう、

救急センターで点滴してきました

f:id:bremen555:20171102135621j:image

 

2017年9月22日。あと3日で秋学期が始まるという日の夜。

極度の腹痛で救急センターに運ばれ、点滴の応急処置を受けました。

あまりにもインパクトが大きくて、「3回生の夏休み振り返り日記」を書こうとしてたけどそれどころじゃないと思って、ここに残しておこうとおもいます。

 

 

本当にその日は「普通の日」だったと思う。あえて言うなら、少し体調は良くなかったくらいだろうか。

前日の夜 微熱があったので朝から内科に行き、家でゆっくり寝て。起きたら夕方だったので、帰宅した家族と一緒にご飯を食べたのが18時ごろで。そして片付けしようと思ってキッチンに立った。

そこまでは「普通」だった。少し体調が良くない時の、わたしの、普通。

 

キッチンに立って食器を吹き始めてすぐ、信じられないくらいの腹痛がわたしを襲ってきた。胃から大腸まですべての臓器がぞうきん絞りのようにギュウウと圧迫されたような、声の出ない腹痛。

慌ててトイレに駆け込んだけど、腹痛は治らないし便も出ない。ひたすらに呼吸が荒くなって、思わずトイレの横にあるバリアフリーの手すりにつかまった。なんとか体勢を崩さずにいれた。(いやもうあの瞬間は人生で一番ヘーベルハウスに感謝しました。)

 

トイレに引きこもること20分。治らない、むしろ呼吸が浅いからクラクラする。やばい貧血だ。必死の思いでトイレから出て、リビングについたとこまでは覚えてる。

 

声が出ないくらいの痛みと、焦りからひどくなる呼吸と、よく分からない感情がごちゃごちゃになって、全然治らなくて、リビングの床でうずくまるしかなくて。それを見た両親が救急に連れて行くか相談していたのも薄っすら聞こえてて、たぶん弟だけが近くで大丈夫?ってずっと声かけててくれてて、気づいたら救急センターに居てました。

どうやら車で救急センターに連れていってくれたらしい。夜遅くにごめん。

 

初めて入る救急センターはひどくさっぱりしていた。真っ白な空間だった。

ストレッチャーに乗せられ、心電図がつけられ、指には洗濯バサミみたいなのがつけられ、血圧も図られ。医師が「ばばさん、聞こえますか??ばばさん??」と言っている。

ああ、リアル「コード・ブルー」だ。

こんなタイミングで思うなよと突っ込みたくなるけど、本当にそう思った。山Pと同じ青いTシャツを着ていたからかもしれない。

なんだかドラマの中にいるみたいだと思った。

 

お腹は痛かったけど、ずーっとピッピッていう心電図の音がやけにリアルで、隣に運ばれて着たおじいちゃんが「入院したくない俺は元気だ」ってゴネてるのもリアルで、痛みは自然と感じなくなっていた。病院って不思議だ。

 

しばらくすると例の青いTシャツの医師がきて、採血を取ることと点滴を処置することが告げられた。血を見ることはおろか、針が刺さっているところも平気で見られる私は、「アッハイお願いしますー」とかのんきに言っていた。

でも、途中でその医師がすごくイケメンだったことに気づき、変に緊張しはじめてしまう。

いやもうこんなタイミングでそこかよって思うかもしれないけど、まじでイケメンだったんです。黒髪で爽やかで判断力が冷静そうな超イケメン。(ごめんなさい)(ジャニオタってこういうところあります)

 

イケメン医師が採血を試みるものの、うまくいかない。血管が細すぎて刺せないという。イケメンを困らせて申し訳無い気持ちがむくむくと出てきた(お察しの通りもう腹痛はだいぶん収まっています)。

結局、ベテラン看護師にバトンタッチして、左手に点滴、右手で採血ということになり、しばらく安静にしてるよう言われた。

何もすることがないし、たまたま救急車で患者が運ばれることもなく、比較的落ち着いたセンター内。イケメン医師が症状と処置をPCに打ち込んでる姿をみて時間をつぶしていた。

救急センターは、ひんやりとした空気が流れ続けていた。

 

どれくらい時間が経っただろうか。点滴が終わるころ、家族が部屋に通され、症状についての説明があった。

結果としては「特に原因はよくわからない。大したことはない」というもの。

安心した反面、申し訳ない気持ちが出てきた。血液検査の結果を見ても、特に異常はないことから「体が疲れていたか、お腹が一気に動き出したときに耐えきれなかった」くらいだという。とりあえず、ホッとした。

 

会計をして、病院を出たのは22時ごろ。もう外は寒いくらいに冷えていた。

イケメン医師にありがとうございましたって言いたかったけど、もう次の処置に行っていたらしい。お礼を言えなかったのがすごく残念だった。

 

あとは家に帰って、いろんな人に連絡を入れた。次の日映画を一緒に観に行こうと誘ってくれてた友人、夜に焼肉行こうと行ってた同じサークルの友達2人、そしていま関わってるイベントのスタッフ。

たかだか「明日は一日安静にしてなさい」と言われただけで、どれだけの人に迷惑をかけてるかが凄く身に染みて分かった。

予定のキャンセルもだけど、自分の抱えてるタスクが動かないことで迷惑をかけてるところもいっぱい目に止まった。本当にごめんなさい。

 

でも、いっぱい暖かさも貰いました。次の日みたらスマホにLINEとTwitterの通知が来てて、心配してくれる人の連絡が来てて。ああ有難いなあひたすらに思いました。

わたしは、いろんな人の支えあって今を生きてるんだなあと今更ながらに思いました。

 

いまもふと、昨日の夜のことを、腹痛で死ぬかと思った時のことを思い出す。しんどかった時、誰かの言動が嬉しかったとか、たぶんずっと覚えてるんだと思う。

トイレから必死にリビングまできて倒れた時に父親が「またしんどい演技か?」といったこと、「救命センター行ったら結構お金かかるよなあ」と母親が言ってたこと、イケメン医師が「血管細いなあ、オレ針いれる自信ないしベテランに代わってもらうわ、ごめんな」って言った申し訳なさそうな顔とか、「ちょっと疲れてたんかな?安心しいここは助けるための場所やで」と言った看護師の顔とか手の温もりとか。

 

全部全部、あの日の記憶として残り続けるような気がしている。

呼吸浅くなってしんどくて孤独で助けて欲しいと思ったとき、ふと助けて欲しい人の顔が浮かばなかったことも、きっと忘れられないことの一つで。

だからこそ、誰かが助けて欲しいと思ったとき、パッとわたしの顔が浮かぶような、そんな存在でありたいと思った。別に一番じゃなくていいし、わたしが医療措置取れるわけでもないんだけど、助けて欲しいと思う人の心に寄り添いたいと思った。

(たぶん、第一にわたしがそういう人を欲してるのはあるかもしれないけれど、それはまた今度の話。)

 

まあそんなわけで、2ヶ月にも及ぶ夏休みは、波乱の出来事で幕を閉じました。いやあ21年目にしてこんなことあるんだなあ…。笑

あまりにもインパクトがあったのでこうやってちょっとふざけた感じで書き起こしましたが、本当に危機を感じたら助けを求めて救急に行くことは大事。わたしが言えたことないだろうけど、みなさんお体にはお気をつけて。

少しずつ体調の様子みながら動いていきますゆえ、担当してるもの遅くなってしまうかもしれません。大目に見てもらえると嬉しいです。

 

では最後に、点滴中の写真を添えて!

f:id:bremen555:20170923220227j:image

 

終わりっ!!!!!!