ババナビ

自分のミライを探しに行こう、

母校にいってきました

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たったったったっ、走る足。

ぴーろろぴーろろ、奏でる音。

わいわいがやがや、元気な声。

 

 

青空が綺麗な木曜の午後、わたしは母校の門をくぐった。

 

 

 

新しい建物や、顔の知らない先生、聞きなれないクラスの名前。

 

わたしが高校を卒業して、もう4年が経つ。

 

 

あの頃のわたしは、自信に満ち溢れた「なんでもできる子」だった。

 

 

 

「卒業生として、在校生の前で話してくれませんか?」

一通のメールが来たのは、春服をクローゼットの奥に仕舞い始めた頃だったっけ。

 

わたしが通う同志社大学への進路を考えている1〜3年生を目の前に、大学生活の紹介を含めた、プレゼンをしてほしいというものだった。

 

 

 

定刻になると、パイプオルガンの音が講堂を包み込む。

優しくて、滑らかな音の重なり。

 

立ち上がって、賛美歌を歌う。

何もみなくても歌えるくらい、しみついている236番。

 

聖書の言葉を聞いて、お祈りをする。

後奏を聴きながら、深く深呼吸する癖も、ほら、変わらない。


履きなれないスリッパで前の席に座りながら、わたしは数年前に引き戻された。

 

 

 

数年前も、こんな場があった。

 

制服を身にまとったわたしが講堂で聞いた先輩の話は、こんなことやってますとか、こんな一日過ごしてますとか、高校生の自分には想像できないものばかりで。

大学生ってなんてキラキラしてるんだろう。楽しそうで、かっこよくて、生き生きしてるように見えた。



高校生のわたしは、やりたいことを見つけて、それが実現するところを目指して、自分の力で勝ち取った。

勝ち取るために、めちゃくちゃ頑張った。

誰よりも行きたい想いがあって、誰よりも行けるだけの努力をして、誰よりも行ける確証がつかめるまで、突っ走った。

 

 

 

 

大学に入ってみると、待っていたのは、キラキラと同じくらいドロドロした現実。

 

自分より出来る奴ってこんなにいるの?

努力じゃ追いつけないところってあるんだ。

あれ、わたしって何に自信持ってたんだっけ?

 

 

みるみるうちに、しぼんでいくわたしがいた。

世界を広げたくて飛び込んだ場所で、圧倒され、どんどん小さくなっていった。

 

 

でも、そんな中で、ど真剣にぶつかってくれる仲間ができたり、家族のことまで相談できる友達ができたり、初めて「尊敬」できる大人に出会えたりもした。

 

どこに進んでいいかわからないけど、がむしゃらにやってみれば、何かがつかめることや、ちょっとずつの前進が自分をちょっとずつ大きくさせてくれることにも気づいた。

 

自分を表現すればするほど、嫌われるけど、好かれることにも気づいた。

 

 

想像以上に大学生活は、泥くさくて、地味で、しんどくて、

でも、想像以上に、楽しくて、嬉しくて、幸せで、心が揺さぶられて、

自分が自分らしくなることに磨きをかけられる場所だった。

 

 

 

卒業生として、前に立つと決めた時、わたしはわたしに約束した。

 

 

キラキラだけの自分は、捨ててやろう。泥臭さも平凡さも、見せるんだ。

 

 

 

「学生団体を立ち上げました」「50人集めて合宿型のイベントやって」「ファシグラの主催してて」「SNSで発信してると街で声かけてもらうこともあって」

 

 

おきまりのセリフは、一つも出さなかった。

 

 

 

 

大学生活は、登山みたいなものだと思うんです。

好きなものをリュックに詰めて、進む道を選んで、時には道ゆく人に声をかけて、頂上を目指すことができるから。

 

入念に準備をして山登ってもいいし、ケータイだけ持って飛び出してもいい。

平坦な道をゆっくり進んでもいいし、急斜面にチャレンジしてもいい。

たくさんの人と友達になってもいいし、大切な誰かを見つけるのもいい。

 

 

 

大事なのは、どんな風に山を登って、どんな景色を見たいのか、想像し創造すること。

 

自分らしく、最高に楽しんで、山を登っていって下さい。

きっと、最高の景色が待ってます。

 

 

 

大学の入学式から講演した日までを計算すると、1171日も月日が流れていた。

1000を超える月日の中で、わたしは、どこまで大きくなれたのだろう。

 

 

何かできるようになったとか、これを成功させたとか、そんなことを並べてた高校生のわたしは、

そんなものがなくても自分らしさだけで勝負できるくらいの強さと、でも泥臭いんですよって言える柔らかさを少しもてた大学生のわたしに、少し背伸び出来た気がした。

 

 

 

 

探しなさい、そうすれば見つかる。

求めなさい、そうすれば与えられる。

門をたたきなさい、そうすれば開かれる。

 

 

何百回を唱えた聖書の言葉。

 

4年ぶりに母校で過ごした祈りの時間のなかで、わたしはぎゅっと噛み締めた。

母校にいってきました

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たったったったっ、走る足。

ぴーろろぴーろろ、奏でる音。

わいわいがやがや、元気な声。

 

 

青空が綺麗な木曜の午後、わたしは母校の門をくぐった。

 

 

 

新しい建物や、顔の知らない先生、聞きなれないクラスの名前。

 

わたしが高校を卒業して、もう4年が経つ。

 

 

あの頃のわたしは、自信に満ち溢れた「なんでもできる子」だった。

 

 

 

「卒業生として、在校生の前で話してくれませんか?」

一通のメールが来たのは、春服をクローゼットの奥に仕舞い始めた頃だったっけ。

 

わたしが通う同志社大学への進路を考えている1〜3年生を目の前に、大学生活の紹介を含めた、プレゼンをしてほしいというものだった。

 

 

 

定刻になると、パイプオルガンの音が講堂を包み込む。

優しくて、滑らかな音の重なり。

 

立ち上がって、賛美歌を歌う。

何もみなくても歌えるくらい、しみついている236番。

 

聖書の言葉を聞いて、お祈りをする。

後奏を聴きながら、深く深呼吸する癖も、ほら、変わらない。


履きなれないスリッパで前の席に座りながら、わたしは数年前に引き戻された。

 

 

 

数年前も、こんな場があった。

 

制服を身にまとったわたしが講堂で聞いた先輩の話は、こんなことやってますとか、こんな一日過ごしてますとか、高校生の自分には想像できないものばかりで。

大学生ってなんてキラキラしてるんだろう。楽しそうで、かっこよくて、生き生きしてるように見えた。



高校生のわたしは、やりたいことを見つけて、それが実現するところを目指して、自分の力で勝ち取った。

勝ち取るために、めちゃくちゃ頑張った。

誰よりも行きたい想いがあって、誰よりも行けるだけの努力をして、誰よりも行ける確証がつかめるまで、突っ走った。

 

 

 

 

大学に入ってみると、待っていたのは、キラキラと同じくらいドロドロした現実。

 

自分より出来る奴ってこんなにいるの?

努力じゃ追いつけないところってあるんだ。

あれ、わたしって何に自信持ってたんだっけ?

 

 

みるみるうちに、しぼんでいくわたしがいた。

世界を広げたくて飛び込んだ場所で、圧倒され、どんどん小さくなっていった。

 

 

でも、そんな中で、ど真剣にぶつかってくれる仲間ができたり、家族のことまで相談できる友達ができたり、初めて「尊敬」できる大人に出会えたりもした。

 

どこに進んでいいかわからないけど、がむしゃらにやってみれば、何かがつかめることや、ちょっとずつの前進が自分をちょっとずつ大きくさせてくれることにも気づいた。

 

自分を表現すればするほど、嫌われるけど、好かれることにも気づいた。

 

 

想像以上に大学生活は、泥くさくて、地味で、しんどくて、

でも、想像以上に、楽しくて、嬉しくて、幸せで、心が揺さぶられて、

自分が自分らしくなることに磨きをかけられる場所だった。

 

 

 

卒業生として、前に立つと決めた時、わたしはわたしに約束した。

 

 

キラキラだけの自分は、捨ててやろう。泥臭さも平凡さも、見せるんだ。

 

 

 

「学生団体を立ち上げました」「50人集めて合宿型のイベントやって」「ファシグラの主催してて」「SNSで発信してると街で声かけてもらうこともあって」

 

 

おきまりのセリフは、一つも出さなかった。

 

 

 

 

大学生活は、登山みたいなものだと思うんです。

好きなものをリュックに詰めて、進む道を選んで、時には道ゆく人に声をかけて、頂上を目指すことができるから。

 

入念に準備をして山登ってもいいし、ケータイだけ持って飛び出してもいい。

平坦な道をゆっくり進んでもいいし、急斜面にチャレンジしてもいい。

たくさんの人と友達になってもいいし、大切な誰かを見つけるのもいい。

 

 

 

大事なのは、どんな風に山を登って、どんな景色を見たいのか、想像し創造すること。

 

自分らしく、最高に楽しんで、山を登っていって下さい。

きっと、最高の景色が待ってます。

 

 

 

大学の入学式から講演した日までを計算すると、1171日も月日が流れていた。

1000を超える月日の中で、わたしは、どこまで大きくなれたのだろう。

 

 

何かできるようになったとか、これを成功させたとか、そんなことを並べてた高校生のわたしは、

そんなものがなくても自分らしさだけで勝負できるくらいの強さと、でも泥臭いんですよって言える柔らかさを少しもてた大学生のわたしに、少し背伸び出来た気がした。

 

 

 

 

探しなさい、そうすれば見つかる。

求めなさい、そうすれば与えられる。

門をたたきなさい、そうすれば開かれる。

 

 

何百回を唱えた聖書の言葉。

 

4年ぶりに母校で過ごした祈りの時間のなかで、わたしはぎゅっと噛み締めた。

polcaで生まれたのは、幸せな時間でした

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polca (https://polca.jp) というサービスがある。

みんなの小さな「やりたいこと」を叶えるために、みんながちょっとずつ応援する、やさしいやさしい空間だ。

わたしは、polcaを使って、こんな企画を出してみた。
「大好きな学生団体のメンバーと鍋パーティーをしたい!」
https://polca.jp/projects/OmD0wQBkkZx

 

滋賀でやりたいことをやるために、やりたいことを見つけるために集まった10人の仲間たち。

私たち滋賀学生コミュニティkanameは、滋賀の地縁を生かした、学生によるつながりを作っていくことを主軸に活動をしている学生団体である。

わたしは、彼らのことが大好きだ。

この学生団体で企画するイベントを成功させたいとか、活躍する場を増やしたいとかそんなの以前に、彼らがこの場所で生き生きと楽しそうにしている姿を見ていたいと思う。本当にそう思っている。

誰かに呆れられるほどに、わたしはみんなへの愛情を持っている。

 

自分がやりたいと言い出して立ち上げた学生団体は気づけば1年が経とうとしていて、新しく一緒に活動するメンバーも増えてきた。
わたしが始めた場所で、出会いがあり、変わるきっかけがあり、ひとつのあたたかな空間が生まれる。

なんて幸せなことなんだろう。

わたしがこの場所にいる限り、みんなの笑顔が見ていたいと思う。

わたしが何かすることで、誰かのきっかけや気づきの一つになれたら嬉しいなと思う。

 

大好きなkanameのメンバーと楽しい空間を作りたい、じゃあ何がいいだろう?

そう思って、鍋パーティーをすることに決めた。そして迷わず、polcaに企画を投稿した。暖かい場所にはご縁があると思った

 

すると、想像以上にたくさんの方から支援していただけた。しかもその8割は名前も顔も知らない人。

「鍋パーティーたのしんでね!」「いい思い出になりますように!」500円の支援とともに送られてきたメッセージは、とってもあたたかくて優しさの塊だった。

 

いま、鍋パーティーを終え、わたしはひとりでこれを書いている。

横には泊まっているメンバーの寝顔が見え、スマホには楽しかったです!とメッセージがきている。

改めて、幸せな時間を作れてよかったなと思う。

だって、今日のこの時間だけで、新たな出会いと驚きと発見と笑いが生まれたんだもの。みんなの笑顔がまたひとつ見れたんだもの。

 

わたしは本当に、幸せ者だ。

沢山の幸せの上に生かされている。

鍋パーティーをご支援くださった方を始め、いつも助けてくださる方たちに、改めて感謝を伝えたいと思う。いつも、ありがとうございます。

 

この感謝をいつか必ず、何かの形でお返しできますように。

幸せを届けられる人間になれますように。

 

少しお鍋の香りが残る部屋で、そっと幸せをかみしめた、女子大生のひとときでした。

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おしまい

「水没したスマホを米と一緒に寝かせると直る」は本当だった

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ことの発端は、金曜日の朝。

竜王アウトレットモールで子供向けイベントのバイトに来ていたわたし。開業前にトイレに行こうとしたら、トイレにスマホを落としました

えっとトイレにスマホを落とした瞬間って想像できます?びっくりしますよ、本当に。思考が止まるんです。自分の行動に理解ができないし、なんならパニックです。

ポチャンってきれいに落ちた音なんて今でも忘れられません。スマホ落としたトイレが手前から2つ目のトイレやったとかももう絶対忘れられません。

とりあえず何も考えずにトイレに手突っ込んでスマホを取り出しましたけど、メッッチャ衛生上ヤバイやつ。スマホごめんな…。

 

まあとりあえずバイトもあるし、と思って (トイレットペーパーで水分とって、手を消毒するアルコールでシュシュってして、手をブオーッて乾かすやつで乾燥させて) 出勤しました。

冷静に考えたらスマホ汚すぎじゃね…?

あっでもでも、ちなみに、スマホってトイレに落とさなくても普段ポッケに入れたり汚れた手で触ってるから、トイレと同じくらいスマホの画面は汚いらしいですよ、、!(ウフフ)

ちなみにこの時は普通にLINEもTwitterも使えました。

 

さて、バイトの昼休み。

まあしっかり乾かしたしーと思ってケータイの電源ボタンおしたら、電源つかねえ。ってか謎に熱を持っているのはなんでやねん……。

絶望のまま午後も元気に子供と戯れ、終業後は死んだような魚の目で帰宅しました。帰りのバスと電車を調べてくれた、同じシフトのお姉さんありがとうございました(泣)

 

家に帰ってふと思ったわたし。

水没したスマホを治す方法を前にツイッターで見たことがある。

  

ちなみに元のツイートはこれですね。(ツイート自体はもう削除されてる模様)

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そっかお米か!!!!お米なんだね!!!!急に希望が見えてきたので、お母さんに聞きました。

「なあお米1合くらい使わせて」

『何に使うん?』

スマホと一緒に一晩寝かせるねん」

…メッッチャ怒られました。人生で1番もったいない近江米の使い方って言われました。でもスマホ治したいんや……気持ちわかって…………。

 

まあなんだかんだあって、お米も手に入れたので実験開始。

袋にスマホをいれて、その上からお米を入れていきます。こんな感じです。(入れる途中でお米20粒くらいこぼしてしまったので全力で拾いました。)

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一合全部入れるとこんな感じ。もっとひたひたにしたかったけど、お母さんに怒られそうやし断念。 

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そして最後にお米をいい感じに伸ばしていきます。意外と難しい。

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まあこんな感じで一旦リビングの机において、その日は就寝しました。

スマホ依存症かつツイッター依存症だから、夜寝るときに近くにスマホなくてソワソワして超しんどかった!!!わたしがツイッターに浮上しないと友達からLINEで「いきてる?」って連絡くるくらい依存症なので、とりあえずパソコンで普段使ってる4つのアカウントで生存報告しました。パスワードとIDはミスすることなくログインできました。わたし天才。(※ドヤるとこではない)

 

とりあえずこの日は弟のスマホからログインしてツイッターには載せておきました。ツイッター映えしすぎ。


 

次の日。お米の布団で寝てるスマホを起こしてみました。電源つかない

でもあれ、充電切れてる説あるよな?????と思って充電し始めること30分。

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電源ついた!!!!!!!!!!! 

超絶かっこいい二宮くんおかえりなさい!!!!!!!!!

 

家族に見せたところみんなで大爆笑。昨日怒ってたお母さんもわろてたし安心。

ちなみに電話、ツイッター、LINE、全部ちゃんと動くし動作も遅くないし、なんか画面綺麗な気がするし。本当に水没したとは思えない。

 

実験結果

スマホをお米と寝かせると治るのほんまやった!!!笑

 

ありがとう近江米!!!!!!!

滋賀のお米って最高!!!!!!!!!!

 

 

え?そのお米どうしたか気になるって…?

 

いや、普通に食べました(汚いとか言わないで十分知ってるから言わないで)

いやだってお母さんが「使ちゃお米はちゃんと食べなさい」って言ってきたし…それ条件やったし……近江米もったいないのもわかるもん……。

普通に、美味しかったです。ちゃんといろいろ消化されてますように。

 

てなわけで、水没したスマホを米と一緒に寝かせると治った話は以上です。完全にノリとテンションだけで書いてるので、ツイッターの感じすごいですが、まあこんな感じで楽しめました。

 

まあこんなこと、たぶん他の方もあるかもしれないと思います。いつかのために、みなさんも覚えておいてくださいね。

 

「水没したら近江米」

救急センターで点滴してきました

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2017年9月22日。あと3日で秋学期が始まるという日の夜。

極度の腹痛で救急センターに運ばれ、点滴の応急処置を受けました。

あまりにもインパクトが大きくて、「3回生の夏休み振り返り日記」を書こうとしてたけどそれどころじゃないと思って、ここに残しておこうとおもいます。

 

 

本当にその日は「普通の日」だったと思う。あえて言うなら、少し体調は良くなかったくらいだろうか。

前日の夜 微熱があったので朝から内科に行き、家でゆっくり寝て。起きたら夕方だったので、帰宅した家族と一緒にご飯を食べたのが18時ごろで。そして片付けしようと思ってキッチンに立った。

そこまでは「普通」だった。少し体調が良くない時の、わたしの、普通。

 

キッチンに立って食器を吹き始めてすぐ、信じられないくらいの腹痛がわたしを襲ってきた。胃から大腸まですべての臓器がぞうきん絞りのようにギュウウと圧迫されたような、声の出ない腹痛。

慌ててトイレに駆け込んだけど、腹痛は治らないし便も出ない。ひたすらに呼吸が荒くなって、思わずトイレの横にあるバリアフリーの手すりにつかまった。なんとか体勢を崩さずにいれた。(いやもうあの瞬間は人生で一番ヘーベルハウスに感謝しました。)

 

トイレに引きこもること20分。治らない、むしろ呼吸が浅いからクラクラする。やばい貧血だ。必死の思いでトイレから出て、リビングについたとこまでは覚えてる。

 

声が出ないくらいの痛みと、焦りからひどくなる呼吸と、よく分からない感情がごちゃごちゃになって、全然治らなくて、リビングの床でうずくまるしかなくて。それを見た両親が救急に連れて行くか相談していたのも薄っすら聞こえてて、たぶん弟だけが近くで大丈夫?ってずっと声かけててくれてて、気づいたら救急センターに居てました。

どうやら車で救急センターに連れていってくれたらしい。夜遅くにごめん。

 

初めて入る救急センターはひどくさっぱりしていた。真っ白な空間だった。

ストレッチャーに乗せられ、心電図がつけられ、指には洗濯バサミみたいなのがつけられ、血圧も図られ。医師が「ばばさん、聞こえますか??ばばさん??」と言っている。

ああ、リアル「コード・ブルー」だ。

こんなタイミングで思うなよと突っ込みたくなるけど、本当にそう思った。山Pと同じ青いTシャツを着ていたからかもしれない。

なんだかドラマの中にいるみたいだと思った。

 

お腹は痛かったけど、ずーっとピッピッていう心電図の音がやけにリアルで、隣に運ばれて着たおじいちゃんが「入院したくない俺は元気だ」ってゴネてるのもリアルで、痛みは自然と感じなくなっていた。病院って不思議だ。

 

しばらくすると例の青いTシャツの医師がきて、採血を取ることと点滴を処置することが告げられた。血を見ることはおろか、針が刺さっているところも平気で見られる私は、「アッハイお願いしますー」とかのんきに言っていた。

でも、途中でその医師がすごくイケメンだったことに気づき、変に緊張しはじめてしまう。

いやもうこんなタイミングでそこかよって思うかもしれないけど、まじでイケメンだったんです。黒髪で爽やかで判断力が冷静そうな超イケメン。(ごめんなさい)(ジャニオタってこういうところあります)

 

イケメン医師が採血を試みるものの、うまくいかない。血管が細すぎて刺せないという。イケメンを困らせて申し訳無い気持ちがむくむくと出てきた(お察しの通りもう腹痛はだいぶん収まっています)。

結局、ベテラン看護師にバトンタッチして、左手に点滴、右手で採血ということになり、しばらく安静にしてるよう言われた。

何もすることがないし、たまたま救急車で患者が運ばれることもなく、比較的落ち着いたセンター内。イケメン医師が症状と処置をPCに打ち込んでる姿をみて時間をつぶしていた。

救急センターは、ひんやりとした空気が流れ続けていた。

 

どれくらい時間が経っただろうか。点滴が終わるころ、家族が部屋に通され、症状についての説明があった。

結果としては「特に原因はよくわからない。大したことはない」というもの。

安心した反面、申し訳ない気持ちが出てきた。血液検査の結果を見ても、特に異常はないことから「体が疲れていたか、お腹が一気に動き出したときに耐えきれなかった」くらいだという。とりあえず、ホッとした。

 

会計をして、病院を出たのは22時ごろ。もう外は寒いくらいに冷えていた。

イケメン医師にありがとうございましたって言いたかったけど、もう次の処置に行っていたらしい。お礼を言えなかったのがすごく残念だった。

 

あとは家に帰って、いろんな人に連絡を入れた。次の日映画を一緒に観に行こうと誘ってくれてた友人、夜に焼肉行こうと行ってた同じサークルの友達2人、そしていま関わってるイベントのスタッフ。

たかだか「明日は一日安静にしてなさい」と言われただけで、どれだけの人に迷惑をかけてるかが凄く身に染みて分かった。

予定のキャンセルもだけど、自分の抱えてるタスクが動かないことで迷惑をかけてるところもいっぱい目に止まった。本当にごめんなさい。

 

でも、いっぱい暖かさも貰いました。次の日みたらスマホにLINEとTwitterの通知が来てて、心配してくれる人の連絡が来てて。ああ有難いなあひたすらに思いました。

わたしは、いろんな人の支えあって今を生きてるんだなあと今更ながらに思いました。

 

いまもふと、昨日の夜のことを、腹痛で死ぬかと思った時のことを思い出す。しんどかった時、誰かの言動が嬉しかったとか、たぶんずっと覚えてるんだと思う。

トイレから必死にリビングまできて倒れた時に父親が「またしんどい演技か?」といったこと、「救命センター行ったら結構お金かかるよなあ」と母親が言ってたこと、イケメン医師が「血管細いなあ、オレ針いれる自信ないしベテランに代わってもらうわ、ごめんな」って言った申し訳なさそうな顔とか、「ちょっと疲れてたんかな?安心しいここは助けるための場所やで」と言った看護師の顔とか手の温もりとか。

 

全部全部、あの日の記憶として残り続けるような気がしている。

呼吸浅くなってしんどくて孤独で助けて欲しいと思ったとき、ふと助けて欲しい人の顔が浮かばなかったことも、きっと忘れられないことの一つで。

だからこそ、誰かが助けて欲しいと思ったとき、パッとわたしの顔が浮かぶような、そんな存在でありたいと思った。別に一番じゃなくていいし、わたしが医療措置取れるわけでもないんだけど、助けて欲しいと思う人の心に寄り添いたいと思った。

(たぶん、第一にわたしがそういう人を欲してるのはあるかもしれないけれど、それはまた今度の話。)

 

まあそんなわけで、2ヶ月にも及ぶ夏休みは、波乱の出来事で幕を閉じました。いやあ21年目にしてこんなことあるんだなあ…。笑

あまりにもインパクトがあったのでこうやってちょっとふざけた感じで書き起こしましたが、本当に危機を感じたら助けを求めて救急に行くことは大事。わたしが言えたことないだろうけど、みなさんお体にはお気をつけて。

少しずつ体調の様子みながら動いていきますゆえ、担当してるもの遅くなってしまうかもしれません。大目に見てもらえると嬉しいです。

 

では最後に、点滴中の写真を添えて!

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終わりっ!!!!!!

プレゼンの神に会ってきた

 

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プレゼンを楽しそうにやる人が好きだ。

目がキラッキラしてて、手先までイキイキしてて、言葉が弾けてポンっと空気が変わる。何かよく分からないけど全身から膨大なエネルギーが出ていて、気づけば一緒にワクワクしている自分がいる。

 

楽しそうなプレゼンを聞いてる会場の空気も、これまた好きだ。

興味なさそうに座ってた人や、ぼーっとどこかを見てた人の目が釘付けになってきて、頷き初めて、メモを取り出す。まるで魔法にかかったような不思議な空間だ。

 

わたしは人前に立つことが好きで好きで堪らない。会場の空気がガラッと変わって、自分の創り出すものにグッと人の興味が注がれるとき、なんとも言えない幸せを感じる。もう本当にゾクゾクしてくる。

気づけば、吹奏楽でソロパート吹いて、演劇で主役や演出をやり、ツアーガイドで人を引き連れ、発表会では前で1人で喋ってた。どんだけ目立つの好きやねん!!笑

まあそんなことは自分でも思うけれど、なんか本能的に選んでやってるんだから仕方がない。もうほんとに趣味みたい領域になってきてるなあと、感じることが増えてきた。

 

好きなことをは自然と熱が入るもので、観客を感動させる演出を考えたり、観客が興味を持つ話し方をしたりと自分で色々工夫をしていく。だからなのか、別にお金を払ってまでプレゼンとか話し方とかのセミナー受けようと思ったことはなくて、まあ自分で出来るし〜〜それなりに褒めてもらえるし〜〜という感覚だった。

 

でもそんな考えが打ち砕かれた瞬間があった。

先日、素敵なご縁で「プレゼンの神」である素敵なおじさま方にお会いしたときだった。

京都駅の横にあるすごく高級な喫茶店で、一杯1000円する紅茶を飲みながら、おじさま3人と同じテーブルにつく女子大生(21)。

ハイセンスな洋服を見に纏ったマダムの声が聞こえる中、おじさま方による「プレゼン大会」はスタートした。

 

おじさま方の正体は、お仕事でプレゼンのセミナーや講師をされている方々。普段自分がどんなところに気をつけているのか、どんな風に作ってるかをシェアしてお互い勉強し合う会をするために集まったらしい。

いや、豪華すぎるやろ!!

と内面焦っていたけど、紅茶の味わからへんかったけど、あれやこれや出てくるプレゼンのコツに必死にペンを走らせた。

 

怒涛のプレゼン3本勝負、おわってから思ったのは、

あっまだまだ自分は甘いな。

ということ。感想は?と聞かれて「すごかったです。勉強になりました」という薄っぺらい言葉を並べることしか出来なかったけど、言葉が出ないくらい圧倒されてた。

 

やってるつもり?工夫してみた?それがどこまで通用するんだろう。

人から教えてもらったコツを自分の中に取り込むことって当たり前だけど、すごく大事。だって知らないことだらけだったんだもん。

話し方、スライドの作り方、どこをとっても目に鱗のものがいっぱいいっぱい溢れてくる。経験の上に出来た鮮やかなコツと、溢れ出る自信、この空間を最大級にワクワクさせてやろうという遊び心。

 

いま持ってるスキルや人柄すべてを駆使して、この時この場所を最大限にワクワクする場に向けていくパワーがそこにあった。

 キラッキラに輝くおじさんが、そこにはいた。

 

教えてもらった内容のなかで、印象的なものがある。

10分のプレゼンをするなら最低200分の練習が必要である

1つのプレゼンに対して20回以上は練習をして本番に臨むということをさす。

溜めるところ、盛り上げるところ、一番聞いてほしいところ。その場の空気を想定して言葉や手振り、テンションを調整し続けるのだ。

前日にパワポを作って夜中に2、3回通すだけの私、聞いてるか?20回やってるか?何回もやって最高の状態を当日に持って行こうとしてるか??

自分で問いかけてみると、ぐっと詰まるところが出てきたのはまぎれもない事実だった。

 

最後に教えてもらったこれも、忘れられない一言。

プレゼンは 1対100ではない。1対1が100ある場である。

私たちは普段プレゼンをするとき、誰かに聞いてほしい!見て欲しい!と思いがちだが、プレゼンの大事なことは「相手がそのプレゼンを聞いてどんな行動をするか」ということだ。

100人のオーディエンスに向かって話すより、一人ひとりに向き合ってダイレクトに伝える方がきっと心に届くだろう。細やかで丁寧なやり取りもプレゼンには大切な要素になるのだ。

ひとりひとりを大切にしたプレゼンは、ひとりひとりにしっかり届く。

 

 

 

人に伝えることを意識して、TwitterFacebookやファシグラやらをやってるけど、それでもまだまだだなあと思うことがあって。なにが足りないんだろうなと思ってた。もうおじさまのプレゼンを聞いてわかった。

この瞬間を最大限に楽しもうという気持ち

が私の中で無くなっていたなあと。パワポ締め切りに間に合わせなきゃとか、指定の枚数に入らないから削らなきゃとか、みんなに合わせてこういう感じにしなきゃとか、結構ネガティヴ思考で作っていた気がする。

 

そうじゃなくて、こんな工夫をしたら盛り上がるかな?とか、こういう工夫をすれば引き込めそうかな?とか、こんな感じで相手の心を動かしたい!とかを考えていくことが大事なんだ。

そしてその過程やプレゼンの当日、やってやるぞ!っていう気合いとワクワク感があるからこそ、人は人に伝えることができるんだと気づいた。

プレゼンってすっごい楽しいものだったんだと気づけた瞬間、急に心がワクワクし始めた。

 

人はみんな、生まれながらにプレゼンターである

人が人に伝えるということは日常的なことでありながらも、時に大きな影響力を生み出す。だからこそ、伝える場である「プレゼン」に、力を注いでいる。

自分の思い、知ってること、経験、好きなこと、ワクワクすること。人に伝えることで、新たなものが生まれ出す。そこには新たな世界が広がっている。

 

プレゼンってワクワクの塊だ!!

疼きだした私の心はもう、プレゼンをしたい一心だ。なにか発表する機会ないかな〜とスケジュール帳をパラパラしたり、10月から始まるゼミや授業もなんだか楽しみになって来たり。たぶん、いや絶対、この先の自分を変える夏のひと時だったなと思うだろうな。

 

おわり

 

 

夏のインターンに全落ちした話

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7月26日、某大手企業からメールが来ていた。

 

インターンシップの面接結果のご連絡」

 

あ、落ちたな。

メールを開かずとも結果はわかった。

 

わたしには8年に渡るジャニオタ生活により、メールの件名だけで大体内容を察する能力がある。

まさかこんな形で役に立つとは、と思いながらメールを開くとやっぱり結果は「不合格」。

これでエントリーしていた5社すべてのサマーインターンシップに落ちました。

 

ふと友達が言ってた言葉を思い出す。

わざわざ大阪に面接いったのに落ちたら交通費返してくれって思うわ〜

 

別の友人はこう言ってた。

やっぱり落ちたら焦るしすぐに次のインターン探し始めるねん

 

わたしはと言うと、全くそんな感情が生まれてこなかった

 

夏休みどうやって過ごそうかな〜って思いながらテレビ見ながらポテチ食べてたくらい、悲観的な感情は出てこなかった。

寧ろ、心がふわっとした気がする。何かから解放された感じがした。わたしってすごい自由に夏休み過ごせるやん!

 

その時に、アッと思った。

わたし、インターンに対して全然ワクワクせえへんかったな。

 

基本的にわたしは物事を決めるとき、「ワクワクするかどうか」を考える。

面白い!やりたい!参加したい!会いたい!自分の中でビビッと来たものは大体「ワクワク」するから、自分の時間を割いて行こうと思う。

それが例え宮城県の山奥で電波の繋がらないところであっても、知らない人しかいないところであっても、「ワクワク」があるならわたしは飛び込んで行く。

 

だって、絶対楽しめるもん。

わたしいまいい時間過ごせてるなーって幸せになるもん。

 

そこに向かう労力なんて考えなくなるくらい、「ワクワク」には運命的なものを感じる。

 

振り返ってみると、エントリーする企業を決めたとき、企業での選考を受けているとき、わたしは「ワクワクするかどうか」で判断してなかったことに気づいた。

 

9割の学生が「シュウカツ」を行い企業に入るような大学・学部にいるからか、「そろそろインターン考えなあかんな」という空気感が蔓延し始めた6月。

友達が続々とマイナビリクナビの会員登録をし、インターンにエントリーする姿を見て、「まあとりあえずエントリーしてみるか」と思って学校のパソコンルームでポチポチした。

 

ぶっちゃけ企業で働く自分の姿が全く想像できなかったし、そこが自分の強みを活かせる場所やとも思わなかったし、でもまあ行ったらなんか変わるのかなーって思った。

全く期待してなかった訳ではないけど、「ワクワク止まらへん!!行きたくてたまらん!!新幹線のチケットおさえとこ!!」みたいな感情はなくて、インターンが自分にとってそこまでプラスになるものになるんかなあって思った。

 

もうここがサマーインターン全落ちに繋がったんだろう。

「まあ行ってみるか」程度で決めたものに本気で向き合えるわけはない。まあ気の抜けたESを書いて、まあクオリティの低い課題を提出してた。見返してみたらまあひどい。普段完璧主義のわたしが出したとは思えないレベルだった。

 

もう「ワクワクするかどうか」をしっかり考えて行動すること、が本当に大切だなと痛感するしかなかった。やりたい!と強い思いがないと、謎に時間と労力を使うだけで、相手にも時間を使わせるだけだ。

 

「ワクワクするもの」に対して全力になろう。

 

そう思った。

 

まあでも考えてみると、物事を選ぶときに大事にしたいことを再確認できる機会になったなあと思う。3回生の夏に立ち止まることができたってことは、次からきちんと向き合えるようになるってこと。残る1年半の大学生活を、満喫できる気がした。

 

というわけで、8月1日から9月24日までの夏休み、長期の予定がないからスケジュール真っ白です。

人生でこんなこと初めてで、なぜか急に楽しくなって来た。ポジティブなわたし最高か!!

 

「ワクワクするもの」は実は身の回りにいっぱいあって、すぐに拾える気がする。

まあ実際「あー夏休みどうやって過ごそう〜」ってツイートした30分後には、あるイベントの運営スタッフすることが決まって秋以降忙しくなることが決まったし。

ほら結局、参加したい!面白い!と思うものに出会えたら、速攻連絡とって「やりたいです!!」って言うものなんやって。

 

わたしがいま1番いい時間過ごせてるなー幸せやなーって思えることを何よりも大事にしたいから、わたしは「ワクワクするもの」を探し求めていこう。

イベントでも、バイトでも、ジャニオタでも。「ワクワクするもの」をやりこむぞー!!

 

だって、せっかくの夏休み、思い存分満喫したいからね。

 

 おわり。